伊勢山天照神社由来

 

我孫子市中峠の西端に鎮座する「天照神社」の祭神は、「大日霊売(おおひるめの)(みこと)

草創は、古い。社宗千濱崇輔の識書になる大正五年九月の「社殿改築記念碑文」や「湖北村誌」によると、遠く「景行天皇」の御代との伝承である。そして昔から下総の国中相馬七郷(岡発戸村、都部村、中峠村、中里村、古戸村、日秀村、新木村)の総鎮守として崇敬されている。旧暦九月一日が祭礼である。そして八月十五日には、七郷の氏子総代が親村である中峠村(芝原)に集まって談合協議を行う慣例が大正末期まで行われていた。その祭礼は「芝原の炮烙(ほうろう)ち」てい寛政1789年~1800年)七郷による「奉納相撲」が行われていた。祭礼の日には、大正末期まで、湖北小学校の生徒の全校参拝が行われるなど由緒深い神社である。

現在の社殿は、平成二年九月一日に完成、社殿は本殿、幣殿、拝殿からなり何れも銅版葺、檜造りである。本殿は神明造り、千木、鰹木を備える。水屋は、銅版葺、檜造りである。

 

合祀

浅間神社(二本榎旧在)      明治四十五年四月二十五日

鹿島神社(鹿島前旧在)

雷 神社(亀田旧在)

大六天神社(高根旧在)

山王神社(海老宿旧在)

稲荷神社(上溜台旧在)      明治四十一年十二月二十六日

足尾山神社(下根古屋旧在)

 

石祠

大杉大明神 寛政四年(1792年)

水神    文化三年(1806年)

足尾大権現 文化十年(1813年)

月読命   明治七年(1874年)

石裂鎮座

加蘇山神社 明治十四年(1881年)

別雷命   明治四十年(1907年)

大山祗命  明治四十年(1907年)

その他 伊勢神宮、三峰神社、出羽三山、富士大山等参拝記念が多数ある。